大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和46年(ワ)1640号 判決 1979年8月09日

原告

篠原弘

外二名

右三名訴訟代理人

中坊公平

外三名

被告

田畑尚一

被告

池田市

右代表者市長

若生正

被告

本多正人

被告池田市、同本多正人訴訟代理人

西川太郎

小西敏雄

主文

被告田畑尚一は、原告篠原弘に対し、二六二万五六〇一円およびうち二三七万五六〇一円に対する昭和四三年四月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告篠原弘の被告田畑尚一に対するその余の請求および被告池田市、同本多正人に対する請求、ならびに原告篠原智弘、同篠原千代の請求は、いずれも棄却する。

訴訟費用中、原告篠原弘と被告田畑尚一との間に生じたものは、これを二分し、その一を原告篠原弘の、その余を被告田畑尚一の負担とし、その余のものは、いずれも原告らの負担とする。

この判決は、第一項にかぎり仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自、原告篠原弘に対し、六四三万八〇七四円およびうち五七三万八〇七四円に対する昭和四三年四月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告篠原智弘、同篠原千代に対し、それぞれ三〇万円およびこれに対する前同日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

(被告田畑)

原告らの各請求を棄却する。

(被告池田市、同本多)

1 原告らの各請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生と原告篠原弘の受傷

原告篠原智弘、同智原千代(以下、原告智弘、同千代という。)の子原告篠原弘(昭和三六年六月七日生、当時池田市立細川小学校在学中。以下、原告弘という。)は、次の交通事故(以下、本件事故という。)により、傷害を負つた。

(一) 日時 昭和四三年四月一七日午後一時四〇分頃

(二) 場所 大阪府池田市伏尾町九一番地 阪急バス久安寺前停留所付近路上(府道亀岡線)

(三) 事故車 大型貨物自動車(京一り一七八号)

(四) 右運転者 被告田畑尚一(以下、被告田畑という。)

(五)、(六)<省略>

(七) 受傷 下腹部挫傷、骨盤骨骨折、膀胱損傷、骨盤腔出血、頭部外傷、左脛骨骨折、左大腿及下腿擦過挫傷(以下、本件傷害という。)<以下、事実省略>

理由

第一事故の発生と原告弘の受傷

請求原因1項の事実は原告らと被告田畑との間には争いがなく、<証拠>によると右の事実が認められる(なお原告弘が池田病院入院当時骨盤腔出血を除くその余の本件被害を受けていたことは原告らと被告池田市、同本多との間にも争いがない。)。<中略>

第二受傷後の症状と治療経過および後遺症の残存

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

一原告弘は、本件事故による受傷後、直ちに池田病院に運ばれ、以後、昭和四三年七月三一日まで同病院に入院し、その間、被告本多が担当医として同人の診療にあたつた(以上の事実は、原告らと被告池田市、同本多との間に争いがなく、原告弘が池田病院に入院したことは、原告らと被告田畑との間にも争いがない。)。

二被告本多は、事故当日午後二時過ぎ頃、担送された原告弘を診察したところ、同人は顔面蒼白で担送台にぐつたりと横たわつたまま自力で立ち上ることもできず、自分の名前を言うのがやつとの状態で血圧は一四〇ないし一〇〇(ミリメートル水銀柱。以下、単に数値のみを記載する。)と高く、左下腹部に擦過傷、左股関節部に皮下出血、左下腿外側に擦過傷を伴つた皮下出血、左膝蓋下部に明らかに骨折を疑わせる陥凹変形が認められ、レントゲン検査の結果、骨盤骨骨折(左腸骨前刺骨折、右坐骨骨折、恥骨結合部解離)および左脛骨骨折が確認された。

三ところで、右恥骨結合部の解離はかなり大きいもので、下腹部を触診すると筋肉の軽い緊張が認められたことから、被告本多は、膀胱および尿道損傷の疑いを持ち、尿検査を実施したところ顕微鏡的血尿が認められ、また導尿後けいれん発作を起し、血圧が九〇ないし七〇まで降下したため、骨盤腔内出血の疑いを強め、直ちに止血剤(アドナ、トランサミン)、強心剤(ビタカンフアー、コラミン)および抗生物質(クロマイ、シグママイシン)等を投与するとともに下腹部氷罨法によつて患部を冷やし、更に酸素吸入などの応急処置を施した。

四しばらくして、けいれん発作は一応おさまつたが、同日午後四時三〇分頃、脈搏が微弱となり血圧も降下するなど再度重篤なシヨツク症状を呈したため、直ちに輸血(O型血液二〇〇立方センチメートル)を行なうとともに、副腎皮質ホルモン(プレドニン)および血圧上昇剤(アラミノン)等を投与し、更に緊急手術に備えて静脈を確保するため静脈切開手術を実施した。

五しかしながら、下腹部の膨満や筋防禦反応等主幹動脈からの出血を疑わせる顕著な症状は認められず、血圧も午後六時三〇分には九〇ないし七〇、午後八時三〇分には九五ないし七〇となり、脈搏も回復したため、当時の外科医長であつた中山賢医師と原告弘の病状を検討した結果、直ちに開腹手術を行なう必要まではないものと判断し、輸血および点滴注射を続けながら経過を観察することとした。

六一方、左脛骨の骨折は、膝関節直下部における斜骨折で、下骨折端が後上方に強く転位しており、骨折治療のためには早期の牽引措置を必要としたが、原告弘の全身状態がこのように極めて重篤で、しかも腹部内臓損傷の疑いも否定できなかつたため、被告本多は一般状態の回復に務めることが重要であると判断し、とりあえず外傷部の処置をするとともに骨折部の安静を保つため左下肢をクラメール副子に乗せて副子ごと包帯で巻くことによつて固定し、消炎剤(ベノスタジン)および鎮痛剤(ネオモヒン)を投与した。

七翌一八日、血圧は一二〇ないし一〇五となり、脈搏も好転したが、脈搏は依然として速く、意識も譫妄状態で、時々妄語し、興奮して暴れたりしていたほか、白血球は一万〇六〇〇リユーコに増加していたため、重傷回診にあたつた当時の副院長岡崎晃医師らと今後の治療方針等について協議した結果、なお引き続き経過を観察し、骨折治療については全身状態の回復を待つて実施することにした。

八同月一九日、原告弘はなお時折興奮し、左大腿部および腰部痛を訴えていたが、下腹部の抵抗感は軽快し、全身状態も快方に向つていることが確認された。

九同月二三日、原告弘の全身状態もかなり回復したことから、被告本多は左脛骨骨折部の転位整復のため左下肢をブラウン副子に乗せて副子ごと包帯で継絡し、更に、腓骨神経に麻痺がみられ、その断裂が懸念されたところから、背屈障害の発生を予防するため、足裏部分に箱をあてがつて矯正位(爪先が伸びていない状態)に固定し、左踉骨部にキルシユナー鋼線を刺入して二キログラムの重錘で左下腿部を牽引する処置をとつた(右牽引処置がとられたことは、原告らと被告池田市、同本多との間に争いがない。)。

一〇ところが、右牽引後原告弘が左下肢に強い疼痛を訴えたため、鎮痛剤(ネルボン)を投与するとともに重錘を一キログラムに減量し、牽引重量は漸次増加して行くこととした。

一一翌二四日、被告本多は、右牽引による影響を検査するため尿検査を実施したが、尿中の赤血球数も減少しており、特に異常所見は認められなかつたため、骨盤腔および腹部内臓損傷については、もはや心配のないものと判断した。

一二五月一日、牽引効果を調べるため、右骨折部のレントゲン検査を実施したところ、上下の転位はかなり整復されていたが、前後の骨折端相互の接合が不十分であつたため、被告本多は、左膝関節の直下部に側圧を加える必要があると判断し、翌二日、中枢折片上にガーゼをのせその上からゴム帯(自転車用チユーブ)でブラウン副子ごと緊縛する圧迫処置をとるとともに、牽引重量を二キログラムに増加し(同日、下腿、足部は浮腫状を呈していたが、チアノーゼはなかつた。)、更に、同月四日午前一一時過ぎ頃、岡崎副院長の指示もあり、右ゴム帯に加えて二〇〇グラムの砂のうを置き、圧迫を強化する処置をとつた(ゴム帯および砂のうによる処置がとられたことは、原告らと被告池田市、同本多との間に争いがない。)。なお、原告弘はゴム帯による圧迫後患部に疼痛を訴えたため、五月二日に鎮痛剤(ネルボン)が投与されている。

一三ところが、右砂のうによる圧迫処置がとられた直後の五月四日午後三時頃から、原告弘は、左下肢全体に激しい疼痛としびれを訴え、足尖部が一部変色するに至つたため、同夜当直にあたつていた宇野医師は、午後八時頃、ゴム帯による圧迫を緩め、鎮痛剤(ピラビタール)を投与した。

一四翌五日午前一〇時頃、当日の当直医であつた中山外科医長が診察したところ、原告弘の左足全体に強い腫脹がみられたほか、皮膚温も低下し、足趾末端部には明らかに血行障害を疑わせるチアノーゼの発現があり、第三ないし第五趾はその一部が赤色ないし黒色に変色し、軽度の水疱形成がみられるなど、既に壊死状にまで進行していることが確認された(なお、その時期の点は別として、中山医師が診察した際、原告弘の左足趾末端部にチアノーゼが発現し、一部は既に壊死状に陥つていたことは、原告らと被告池田市、同本多との間に争いがない。)。同医師は、右発現の時期からみて前記ゴム帯および砂のうによる圧迫処置が血行障害の原因ではないかと考え、右ゴム帯および砂のうを除去し、末梢血流改善剤(ズフアジラン)および組織賦活剤(ユークリダン)を投与したが、既にチアノーゼ段階をすぎている部位は組織の変化からみて手術による効果も望めない状態であつたので、それ以上は特段の処置をとることなく、しばらく経過をみることにした。(中山医師が診察により原告弘の左足趾末端部にチアノーゼが発現し一部が既に壊死状に陥つていたことを確認した時期について、被告池田市、同本多は、それは五月四日の夜であると主張し、証人中山賢は、はっきりした記憶があるわけではないが、カルテの記載によれば、それは五月四日の夜である旨、証言している。ところで、カルテ(乙第二号証の三)には、五月四日の欄に「指示により砂のう二〇〇g」の記載が、五月六日の欄に「4/5夜、当直医指示によりゴム帯砂のう除去、足尖部のしびれ感、疼痛強し、チアノーゼ状、Ⅰ〜Ⅴ趾末端稍々変色す。ズフアジラン二ケ、ユークリダン二ケ、カイモラール三ケ、トランサミン含(一〇cc)」との記載があるが、他方、看護日誌(乙第四号証の六)には、五月四日の欄に「トランサミン含(一〇)、カイモラール(三ケ)、PM8.00、二五%スルピリン筋注(被告本多は、これは鎮痛剤ピラビタールである旨供述している。)」の記載が、五月五日の欄に「ユークリダン(二ケ)、ズフアジラン(二ケ)」の記載が、存するのであつて、これとの対比で考えれば、右カルテの五月六日欄の記載は、時間的順序に従つて逐次記載されたものではなく、六日に一括して記載されたものであることは明らかであつて、右カルテの記載およびこれに基づく前記証人中山賢の証言のみによつて前記確認の時期が五月四日夜であると認めることは困難であり、他に右被告らの主張を認めるべき証拠はないので、この点については、原告千代本人の供述により、症状の進行状況およびユークリダン、ズフアジラン投与の時期(医師であれば、前記のような症状を確認すれば、時間をおくことなく直ちにこれを投与するのが通常であると考えられる。)からみても合理性の認められる五月五日午前一〇時頃のことであると認定する。)

一五一方、被告本多は、同月六日午前九時頃、出勤すると同時に看護婦からこれまでの経過について報告を受け(被告本多は、五月四日は土曜日のため午後から帰宅しており、翌五日も祝日のため出勤しておらず、また、宇野、中山両医師からその間の事情について特段の連絡はなされていなかつた。)、直ちに原告弘を診察するとともに、岡崎副院長らと対策を協議した結果、右チアノーゼの発現は右脛骨骨折に伴つて生じた膝窩動脈領域の血行不全が前記圧迫処置によつて悪化したことによる疑いが強いと判断し、爾後はゴム帯および砂のうによる圧迫を中止し、末梢血流改善剤および組織賦活剤の投与を続けながら厳重に経過を観察することとした。

なお、被告本多のみならず、岡崎、中山両医師も、原告弘のこれまでの症状からは主幹動脈の出血を疑う余地はないものと考えていたうえ、一般に骨盤骨骨折によつて総腸骨動脈領域に損傷が生じ、そのため血栓が形成されて動脈を閉塞させるということは極めて稀なことであり、被告本多らもそのような臨床例の経験を持たなかつたため、後記認定のように原告弘の総腸骨動脈に閉塞が生じているなどということは全く予想せず、また、さしあたつて足趾部分以上に壊死が拡大する徴候も見当らなかつたので、股動脈搏動の触診や血管撮影等の血行障害の部位、程度を確定するための諸検査は実施しなかつた。なお、被告本多は、その後も、五月一〇日まで、止血剤(トランサミン)の投与を続けている。

一六しかしながら、その後も左下肢に血行障害の症状があつたので、被告本多は、岡崎医師と相談のうえ、ギブスにより患肢の全周を固定することはさしひかえることとし、同年六月五日、ギブスシヤーレ(後半分だけのもの)を作成しこれを包帯で巻きつけて患肢を固定したが、その際、原告弘をうつぶせに寝かせたところ、その左下腿裏側、ふくらはぎの部分に、紡錘状の変色があり、ふちが茶色ずんで中心が黒つぽくなつていて、かかとの部分も少し茶色つぽくなつていた。なお、筋肉痛の訴えがあつたので、同日、鎮痛剤(セデス、グロバリン)を投与した。やがて左下肢の腫脹がひいたので、消炎剤(カイモラール)の投与は同月一八日で打切られたが、末梢血流改善剤(ズフアジラン、カビラン)の投与はその後も継続された。しかし、左足尖部の壊死は漸次進行し、同年七月一日には第四、第五趾の分割線が明瞭となり、同月二七日には遂に第四趾が中節より脱落するに至つた。

一七同年八月一日、原告弘は関西労災病院に転院するため池田病院を退院したが、その後同月一五日までの間に左足趾五本および左足膝下背部の筋肉は順次壊死脱落し、結局、原告弘には、自賠法施行令別表後遺障害等級表六級に該当する左足第一ないし第五指切断、左足関節一五〇度屈位強直、左大腿部手掌大以上の醜状瘢痕および左下腿知覚鈍麻の各後遺症が残存するに至つた(なお、原告弘の左下肢に本件壊死が発生したことは、原告らと被告池田市、同本多との間に争いがない。)。

ところで、被告本多本人尋問の結果中には、「原告弘の左下肢にチアノーゼの発現を認めた際、直感的にゴム帯および砂のうによる圧迫処置が原因ではないかと思つたが、解剖学的に疑問があり、左脛骨および骨盤骨骨折による膝窩動脈あるいは総腸骨動脈領域の血栓ないし閉塞の可能性も考えられたため、血行障害の部位、原因を調べることとし、股動脈以下の博動検査を実施したところ股動脈は非常に微弱で、膝窩動脈および足背動脈はいずれも触知しなかつた。それで左腸骨動脈に閉塞が生じている疑いを持つたが、その場合にも膝窩動脈に二次血栓が形成されている可能性もあり、結局、その原因を確定することはできなかつた。」旨の供述部分が存在するほか、証人岡崎晃もほぼ同様の証言をしており、原告弘の診療中乙第二号証の一ないし三の同一部分を除くその余の部分(以下、単に追記部分という。)にも右供述にそう記載が存する。また甲第二号証の八、乙第二号証の三の各五月六日欄には、「左腸骨動脈領域の閉塞か?」との記載がある(以下、単に五月六日欄の疑問符付記載部分という。)。

しかしながら、証人中山賢は、「関西労災病院での血管造影の結果が判明するまでは、原告弘の左総腸骨動脈閉塞は全く予想していなかつた。被告本多も、当初ゴム帯と砂のうによる圧迫がチアノーゼを発生させたのではないかと気にしていたが、その後血管造影により本件壊死は右圧迫処置と無関係に生じたことが判明したといつて喜んでいた。」旨証言しているのであり、これに、原告智弘、被告田畑各本人尋問の結果によると、原告弘が関西労災病院に転院したのち、原告らと被告本多ら池田病院側との間で示談交渉が持たれた際、被告本多らは、原告弘が池田病院で治療を続けるなら治療費を軽減してもよいとして、病院側の責任を一部肯定するかのような申出をしていたこと、ところが前記血管造影の結果が判明してからは、従前の態度を改め、明確に賠償責任を否定するに至つたため、結局、交渉は決裂したことが認められること(被告本多本人も、自身、右交渉にあたつて前記のような申出をしたことを肯定する旨の供述をしている。)、および、前記認定のチアノーゼ発現以後の治療状況をあわせ考えると、そもそも被告本多らがチアノーゼの発現を認めた時点で左総腸骨動脈の閉塞まで予想して股動脈搏動の触診をしたとみるには、大きな疑問が残らざるをえないところである。

また、原告弘の治療録(乙第一号証、第二号証の一ないし三)を検討すると、同一部分の主たる内容は、被告本多らが当初最も警戒していた原告弘の全身状態およびその後の骨折治療に関する諸検査、症状およびそれに対する治療についての記載であつて、血行障害に関する検査ないしは症状についてはほとんど記載がないのに対し、追記部分の内容はその大部分が血行障害に関する事項で占められていることが明らかなところ、被告本多本人の供述によると、同人が右追加記載をしたのは、昭和四六年五月頃のことであつて、右追記部分は、当時海外出張を命じられて身辺整理の必要があつたため、前記治療録の不備な点を整理、補充しようと思い、当時の記憶に基づき原告弘に対する治療内容を正確に記載したものであるというのである。しかしながら、多数の患者を毎日のように診察している被告本多において、既に三年近くも以前に退院した一患者に過ぎない原告弘について、同人が特殊な病状をたどつたものであるにもせよ、また、ある程度はカルテ、看護日誌等の記載により記憶を喚起しうるとしても、その具体的な症状や治療内容の細部にわたつてまで鮮明な記憶を維持していたとは到底考えられないところであつて、右追加記載の理由として挙げられているところにも合理性は認めがたく、しかも、一たん追記がなされると、追記部分と従前の記載部分とは容易に区別しがたくなるおそれがある(事実、被告本多自身、その本人尋問に際して、右診療録のうちのちに追記した部分を正確には指摘することができなかつた。)うえ、右追加記載がなされた頃には既に、被告本多には原告弘の血行障害を看過した過失があるとして損害賠償を請求する本訴状が送達されていたこと、また、被告本多らは、右追記部分を明示しないまま右診療録を乙号証として提出していることはいずれも本件記録上明らかであるから、これらの諸点に照らして考えると、右追記部分は、被告本多において、本件訴訟を自己に有利に導くため、敢えて虚偽の内容を記入したものであるとの原告らの主張には一概に排斥できないものがあるのであつて、さきに述べた証人中山賢の証言等をあわせ考えれば、結局、その信憑性には強い疑問を残さざるをえない。なお、五月六日の疑問符付記載部分は、甲第二号証の八にも存在するところから、それが追記部分とは時を異にして記載されたものであることは明らかであるが、それは、その記載自体からして甲第二号証の八の五月六日欄の他の記載と同一機会に記載されたものではないことが明らかであること、被告本多本人も、それはのちに追記した記載である旨の供述を繰返していること、被告本多には、甲第二号証の八が原告らの手に渡る以前にもいくらでも診療録に手を加える機会があつたこと、および、既に述べてきたところからすれば、五月六日欄の疑問符付記載部分はその日付頃に記載されたものではなく、前記関西労災病院での血管造影の結果が判明したのちに記載されたものと推認される(乙第二号証の一の病名欄以外はすべて同一機会に追記した旨の被告本多本人の供述は措信しえない。)のであつて、右記載部分自体、追記部分と同様、極めて信憑性の薄いものであり、また、これがあるからといつて、既に述べてきたところが左右されるものでもない。

結局、前記被告本多本人尋問の結果および証人岡崎晃の証言並びに乙第二号証の一ないし三の追記部分および甲第二号証の八、乙第二号証の三の各五月六日欄の疑問符付記載部分は、他の証拠関係に照らし、いずれも措信することができない。

<証拠判断略>

第三本件壊死の原因

<証拠>を総合すると、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

一昭和四三年八月九日、関西労災病院において、大塚治医師により血管造影が行なわれた結果、原告弘の左総腸骨動脈には長さ約七センチメートルの塞栓が形成されていて右動脈は完全に閉塞し、側副血行が発達していること、右閉塞のほかは、当該閉塞部位から足首までの間に血行障害はないこと、が確認された。なお、右血管造影によつては、足首から先の部分については、血行障害の存否は明らかにされていない。

二一般に、外傷、特に骨盤骨骨折による総腸骨動脈の閉塞の原因としては、(一)動脈自体が断裂して閉塞する場合、(二)動脈内膜の損傷により血栓が形成され、動脈を閉塞させる場合、(三)骨盤骨骨折により骨盤腔内に動・静脈出血が生じ、それによつて形成された血腫が動脈を外部から圧迫し閉塞させる場合、(四)骨折により転位した骨折端が動脈を外から圧迫し、閉塞させる場合、等が、一応考えられる。

三一方、主幹動脈を結紮した場合の末梢側肢における壊死発生の頻度は、KremerあるいはPrattによると、総腸骨動脈で一〇〇パーセント、外傷骨動脈で一五パーセント、総大腿動脈で二〇パーセントとされ、また、Hughesによると、それぞれ53.8パーセント、46.7パーセントおよび81.1パーセントされている。

四主幹動脈に血行障害が発生すると、通常、末梢部位の疼痛(安静時痛)、末梢搏動の消失、皮膚の色調変化、知覚障害、体表温の低下、浮腫の発現等の特徴的な症状が現われ、更に血行障害が継続するとチアノーゼが発現し、やがて壊死状を経て壊死に至る。血行障害を生じてからチアノーゼの発現を経て壊死状に至るまでには、側副血行の発達の程度にもよるが、一般に、急性の血行障害では約一五、六時間から二四時間を要し、二四時間を経過した場合には非可逆的壊死に陥る。チアノーゼ発現の段階に至つても、その比較的早い時期に血行障害の原因を除去することができれば、血流改善剤の投与等によつて、壊死に至ることなく回復することも可能である。

五そして、阻血性の壊死は、動脈が閉塞した部位のやや末梢に位置する筋肉と更にその末梢に位置する皮膚組織に発現するのが一般的である。当該閉塞部位の末梢に位置する筋肉であつても、別の動脈からの血行に営養されているものはもとより、側副血行の発達によつて営養されることもあるから、そのすべてに壊死が発現するわけではない。

右認定の事実に前記第二で認定した原告弘の症状および<証拠>を総合して判断すると、原告弘の前記動脈閉塞(以下、本件閉塞という。)は、本件事故の衝撃により左総腸骨動脈の内膜が一部損傷し、そのため徐々に形成された血栓によるものであり、本件壊死は、右血栓によつて生じた亜急性の動脈血行障害を原因とするものであると推認するのが相当である。

もつとも、被告池田市、同本多は、本件壊死のうち、左足膝下背腹部筋肉(左下腿腓腸筋部)の壊死は、左脛骨骨折に対する長期の固定療法を余儀なくされたことと血行障害が続いたことの結果生じた褥創(いわゆる床ずれ)である旨主張し、被告本多本人尋問の結果中には右主張にそう部分が存在するほか、証人岡崎晃、同大塚治はいずれも右筋肉部の壊死と本件閉塞による血行障害との間には直接の因果関係がない旨証言しているが、<証拠>によると、原告弘の場合には下腿三頭筋の一部および筋腹が壊死脱落していることが認められるところ、大塚証人自身、その反対尋問の際、褥創は表皮部分に発現するのが一般的で、内部筋肉にまで達することは稀である旨証言しており、他方、鑑定証人豊島泰は、右壊死は明らかに動脈血流の障害に起因するものである旨証言しているから、これらの諸点に照らして考えれば、前記証人岡崎晃、同大塚治の証言および被告本多本人の供述はにわかに措信しがたく、被告池田市、同本多の右主張は採用することができない。

他方、原告らは、本件閉塞によつて原告弘の左下肢には血行障害が生じていたものの、側副血行によりわずかながら血液が供給されていたところに、ゴム帯および砂のうによる圧迫処置が加えられた結果、血行障害が悪化し、本件壊死が発生した旨主張する。そして、さきに第二で認定したように、本件閉塞の存在が明らかにされる以前の段階においては、中山、岡崎両医師、被告本多は、右圧迫処置が、あるいは血行障害の原因ではないか、あるいは血行不全を悪化させたのではないか、と考えていたのであり、また、血管造影をした証人大塚治も、初診の段階では、右圧迫処置の事実を聞いて、それが趾先の血行障害の原因ではないかと思つた旨、証言している。更に、鑑定証人豊島泰の証言によれば、骨折による腫脹もまた(特に静脈の)血行障害の原因となりうることが認められるのであつて、右圧迫処置が、そのような原因による血行障害を助長したのではないかということも考えられないではない。

しかしながら、<証拠>によると、本件閉塞はそれだけで十分に本件壊死を発生させるに足りるものであること、膝下部の主幹動静脈はいずれも脛、腓骨のほぼ中間を通つていて解剖学的に外部から直接圧迫を受けにくい部位にあること、原告弘に対する前記圧迫処置は、ブラウン副子ごとゴム帯で緊縛し、その上に砂のうを置いたものであつて、全周の囲繞緊縛ではなかつたこと、しかも右ゴム帯はプラスチツク製の洗濯ばさみによつて止められていたに過ぎなかつたから、その圧迫の程度は左程強いものでもなかつたと考えられること、ゴム帯や砂のうを除去した時点ではまだチアノーゼが発現していたにとどまる部分の足趾が、その除去後も回復することなく壊死脱落していること、その後、壊死が左足膝下背腹部筋肉にまで及んでいること、以上の事実が認められるのであつて、これらの事実をあわせて考えれば、右圧迫処置が左下肢の血行に何らかの悪影響を及ぼした可能性は否定できないにしても、右はあくまで疑いの域を出ない程度のものであるから、結局、右圧迫処置と本件壊死との間に確定的な因果関係を認めることはできない。なお、原告らは、中枢骨片を外力で押えることによつてブラウン副子上の末梢骨片に接合させようとした前認定第二の一二の整復方法は誤つており、中枢骨片の延長上に来るように末梢骨片を高挙する方法によるべきであつたと主張するけれども、骨折部の整復および血行障害に悪影響を与える可能性という見地からみて後者の方がよりよい方法であつたとはいいうるとしても、池田病院で慣行的に行なわれていた後者の方法(この点は、証人中山賢の証言によつて明らかである。)が明らかに誤りであり、それが原告弘の血行障害に悪影響を与えたといいうるまでの証拠はなく、証人中山賢の証言によれば、それはそれなりに有効で必要な処置であつたと認められる。また前記認定のように、被告本多は、原告弘に、チアノーゼの発現をみたのちもなお五月一〇日まで、止血剤(トランサミン)を投与しているけれども、鑑定証人豊島泰の証言および被告本多本人尋問の結果によれば、それは、手術による止血をしていないところから完全に止つているとはいい切れない骨盤腔内の出血を慮つた処置であり、また、右止血剤は、動脈の閉塞や血栓形成の助長という面からみて、左程の副作用があるものではないことが認められる。

<証拠判断略>

第四被告田畑の責任<省略>

第五被告池田市、同本多の責任

一被告池田市が池田病院を経営し、被告本多を同病院の外科医として雇用していたこと、被告本多が原告弘の担当医となり、被告池田市の業務の執行としてその治療にあたつたことは、被告本多本人尋問の結果および弁論の全趣旨に照らして明らかである(これらの事実は、原告らと被告池田市、同本多との間に争いがない。)。

二そこで、まず、被告本多には原告弘の左総腸骨動脈閉塞による血行障害を看過した過失があるとの原告らの主張について検討する。

1  <証拠>によれば次の事実が認められ、<る。>

(一)  一般に、骨折がある場合には、合併症として血行障害および神経損傷を疑う必要がある。

(二)  ところで、血行障害が発生すると前記第三の四で認定したような臨床症状が現われるが、骨折自体によつても浮腫の発現や疼痛があり、また、神経損傷によつても知覚障害が発生するため、骨折患者に浮腫や知覚障害が現われた場合には、まずその原因を確定する必要がある。

(三)  その際、骨折や神経損傷に基づく浮腫や知覚障害はその発現する部位等において血行障害によるものとは異なるところがあるため、通常は詳細な観察によつて区別することが可能であるが、なお、その鑑別のためには、末梢搏動の消失や皮膚の色調変化および体表温の低下等、血行障害に特有な症状の有無を検査することが重要である。

(四)  そして、以上(一)ないし(三)で述べたところはいずれも骨折治療にあたる外科医の常識であり、被告本多らにおいても、当時既にこれらの点は十分承知していた。

(五) なお、昭和三九年発行の臨床雑誌「外科」二六巻(乙第一六号証)には、「骨盤骨折の統計とその合併症」と題して七野滋彦外二名による昭和三二年一〇月から昭和三八年六月までの五年半の間に扱つた骨盤骨折の症例報告が登載されており、「骨盤骨折そのものの合併損傷としては腹部臓器損傷、神経障害および血管損傷が注目されるが、最近のごとく外傷原因が複雑化し外力が過大になると骨盤以外の骨折、あるいは骨盤骨折と因果関係のない臓器損傷などが増加してきている。」「交通災害を原因とした骨盤骨折患者では上記の直接合併損傷の他に偶然の合併損傷ともいうべき損傷を合併していることが多く……治療に当つて全身に注意を向けなければならない。」との指摘がなされている。

2  ところで、原告ら主張の本件壊死の原因である血行障害をうかがわせる臨床症状の発現の時期、程度については、原告千代本人が、「原告弘は、入院の当初からずつと痛みとしびれを訴えていた。途中少しは薄らいだが、キルシユナー鋼線で牽引したとき強く訴え、ゴム帯で圧迫してからは余計痛いといい、足の腫れもひどくなつた。五月二日には被告本多に直接痛み、しびれを訴えている。右牽引開始後、患肢に触れたら、足先の方がすごく冷たく、膝からすねのところも冷たかつたので、看護婦にその旨訴えた。ゴム帯で圧迫したのち、五月三日には膝の下から足の先にかけて白つぽくなつた。五月四日午後三時頃、趾爪が五本とも全体的に紫色に変つて来た。」旨供述し、証人岡崎晃、同中山賢が、回診時(岡崎医師は月・金曜に、中山医師は水曜に、回診している。)、患側の足が腫れており、痛み、しびれを訴えていたが、いずれも骨折の随伴症状であると思つていた、旨、更に、証人岡崎晃が、五月四日午前の回診時にも左下腿の浮腫性の腫脹がまだかなりあつたが、それは、骨折および骨折に随伴する循環障害の両方によるものであると思う、旨、各証言しており、原告智弘、被告田畑本人の供述中に一部前記千代本人の供述にそう部分があるほかは、これを確定すべき的確な証拠はない。のみならず、被告本多本人は、「原告弘は、入院当初と牽引および圧迫処置を施した際のほかは、左下肢に痛みを訴えたことはなく、チアノーゼ発現までしびれを訴えたことは一度もない。また、同人の左下肢には皮膚温の低下も認められず、色調についても、牽引処置を施した際、肢下部が骨折による静脈うつ血のため茶色がかつてむくんだように腫れていたほかは、特に異常はなかつた。五月二日にゴム帯でしめたために皮膚の色が変つたようなこともないし、また、五月四日午前九時頃の診察の際、同一一時過ぎ頃砂のうを乗せた際にも、血行障害を疑わせるような症状はなかつた。」旨供述し、証人岡崎晃も、五月四日の回診時、骨折そのものによる下腿の循環障害のほか、血行障害の症状は見当らなかつた旨、証言しており、診療録(乙第一号証、第二号証の一ないし三、第三号証の一ないし一六)および看護日誌(乙第四号証の一ないし一八)にも、血行障害をうかがわせる臨床症状についての記載は見当らない。

しかしながら、さきに第三で述べたとおり、本件閉塞は本件事故の衝撃により左総腸骨動脈の内膜が一部損傷したために徐々に形成された血栓によるものであると推認されるところ、血栓が徐々に形成され、一方において相当程度側副血行の発達がみられるというような場合には、急速に生じた塞栓による場合と比較して、血行障害が生じてからチアノーゼの発現に至るまでの時間は長く、それは種々の症状を伴つて現われてくるものであることは、被告本多本人尋問の結果からも明らかであつて、前記第三の一および四、五の認定事実、第二で認定した本件壊死発生の時期および部位、程度、並びにこれらの事実と証人大塚治の証言によつて明らかな、原告弘の場合、側副血行の発達はかなり良行であつた事実にかんがみれば、中山医師が原告弘の左足趾の一部が壊死状に陥つていることを確認した時点の二四時間前よりなお相当程度以前の段階から、本件閉塞による血行障害に基づく左下肢の疼痛やしびれ、左下腿部の浮腫、知覚障害、皮膚温の低下、下腿末梢部の色調の変化等の臨床症状が徐々に現われてきていたはずであると考えられるのであつて、このことと、前記原告千代本人の供述、同証人岡崎晃の証言、並びに被告本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く。)および弁論の全趣旨をあわせ考えれば、少なくとも被告本多が砂のうを乗せた五月四日午前の段階には、既に、本件閉塞による血行障害をうかがわせる臨床症状が、注意をして観察すれば発見しうる程度には、発現していたものと推認される(もつとも、既に述べてきたところから考えれば、前記各証拠によるも、それ以上に、より早い時期において被告本多が発見しうる程度に右のような臨床症状が発現していたものとも認めることはできず、他にこれを認めるに足りる的確な証拠はない。)のであり、しかるに被告本多らは、そのうち皮膚温の低下はブラウン副子によつて下肢を固定しているため保温が不十分であつたことによるものであり、その余の症状はいずれも骨折に通常随伴する一般的症状の域を出ないものとみて、特にそれ以上は血行障害の有無を意識して詳細な観察や厳密な検査をすることなく、これを看過してしまつたものと推認されるのである。

右認定に反する証人岡崎晃の証言、被告本多本人の供述は措信することができず、また、前記の看護日誌は、右らの各症状に限らず、患者の愁訴や病状の変化等についてはほとんど記載されていないから、これに記載がないからといつて右の認定が左右されるものでもなく、他にこれを左右するに足りる証拠はない。

3 右1の認定事実からすれば、被告本多としては、交通事故による骨折を伴う本件傷害の治療にあたる医師として、当然、血行障害を疑い、これをうかがわせる各臨床症状の発現の有無につき不断に注意を払い、疑いのある症状に関しては、詳細な観察と厳密な検査を実施すべき注意義務があつたというべきであり、右の認定事実からすれば、被告本多において右のような注意義務を尽していれば、少なくとも五月四日午前一一時過ぎの時点において、原告弘の左下肢に本件閉塞による血行障害をうかがわせる臨床症状が発現していることを確認することができたものと考えられる。しかるに被告本多は、血行障害の有無を意識して特段の注意を払うことなく右臨床症状を看過し、結局、原告弘の左足趾にチアノーゼが発現し、しかもその一部が壊死状に進行するまで血行障害について全く気付かなかつたのであるから、同被告には原告弘の血行障害を看過した過失があるといわなければならない。

4  なるほど、原告弘の場合のように骨盤骨折から総腸骨動脈に血栓性の閉塞が生ずるというようなことは極めて稀なことであつて、被告本多を含め当時池田病院に勤務していた外科医にはそのような臨床体験がなかつたこと、また本件閉塞が亜急性のものであつたためチアノーゼの発現を見るに至つたのは受傷後一七日も経たのちのことであつたことは、前述のとおりであり、更に、<証拠>によれば、昭和四三年八月一日発行の臨床雑誌「外科」三〇巻九号に登載された大原到外一名の「急性動脈閉塞症に対する外科治療」と題する研究報告(乙第二二号証は、動脈が急に閉塞した場合でも往々にしてその現わす症状、すなわち神経痛様痛み、知覚異常に注意を奪われて脈搏を触知せずにすまされ、単に四肢の神経症と誤認され、あるいは一時的な血管の痙攣と誤られて処置されたため手術の時期が遅れたケースが多いとの指摘をしているほか、昭和四七年九月一日発行の日本外科学雑誌七三回九号に発表された枡岡進外一〇名による「血管外傷とその予後について」と題する報告(乙第六号証)にも、来院時すでに四肢に壊死あるいははそれに近い状態を呈していた六例のうち四例は骨折を伴うもので、血管外傷の存在が看過されたままギブスあるいは副木固定が施行され、日時を経て、血行障害の合併に気付き転送されたものであつたとの記載があることが認められるから、骨折に合併するこの種血行障害は往々にして看過されやすいものであることがうかがわれ、したがつて、被告本多が原告弘の血行障害に気付かなかつたことも、一面においては強く非難することができないものがあるともいえよう。しかしながら、被告池田市、同本多の主張するように原告弘について血行障害の徴候を認知することが全く不可能であつたとまでは到底いいえないことは、これまで検討してきたところから明らかであるから、同被告らの右主張は、採用することができない。

三次に、被告本多の前記過失を前提として、これと本件壊死との間の因果関係、すなわち、被告本多が前記チアノーゼ発現以前の五月四日午前中に原告弘の血行障害をうかがわせる臨床症状を確認していたならば本件壊死発生を防止し、あるいはこれをより小範囲に止めることができたか否かについて判断する。

1 原告らは、被告本多が原告弘の左下肢にゴム帯および砂のうによる圧迫処置を加えることによつて血行障害を助長したと主張し、なお、骨折の整復方法の誤りやチアノーゼ発現後の止血剤の投与にも言及しているけれども、右圧迫処置と本件壊死との間に確定的な因果関係を認めることはできないこと、原告らの整復方法や止血剤の使用が誤りであるともいえず血行障害に悪影響を与えたとも認められないことは、さきに第三において述べたとおりであるから、此処では、もつぱら血管撮影と血行再建術の施行により本件壊死の発生を防止すること等ができたか否かが問題となる。

2  <証拠>を総合すると次の事実が認められ、<る。>

(一) 一般に動脈閉塞が生じた場合の治療法としては、保存的療法、すなわち末梢血管に対する交感神経節ブロツクや血管拡張剤を用いて側副血行路の開通を促し、循環をよくして阻血状態に陥つた組織の血流回復をはかる方法と、血流障害の原因そのものを外科的に除去する血行再建術とが用いられる。側副血行路の発達は、血管の閉塞部位や範囲によつて異なるうえ、血流が完全に回復されないかぎりは、結局、末梢循環不全状態が残り、日常生活にも支障をきたし、重篤な場合には肢切断の必要も生じかねないことなどから、合併症や後遺症を防止するうえでは、血行再建術の方がはるかにすぐれている。

(二) 血栓あるいは塞栓による動脈閉塞に対し、血行再建を行なう方法としては、その閉塞の状況に応じ、血栓塞栓摘除、血栓内膜摘除、バイパスあるいはパツチ移植が行なわれる。昭和四三年当時においても、血行再建のため左総腸骨動脈を露出させてその中の異物を摘出し、血管を縫合することは、技術的に左程困難ではなかつたが、人工血管の移植にはある程度専門的知識を必要とした。なお、膝から下の部分の細い血管の縫合にはかなりの熟練を要する。

(三) 血行再建術の可否の判定やその施行をするためには、血管閉塞の部位、程度や血行障害の状況等の正確な把握が必要不可欠であり、そのための最も正確な手段である血管撮影の施行が必要となる。

昭和四三年四月発行の神谷喜作外二名著「脈管造影の実際」(乙第七号証)は、動脈造影につき、「……造影剤や造影法の進歩した現在では、重篤な合併症に遭遇することはまれである。しかし、比較的軽度の副作用や合併症でも撮影に支障をきたし事後の診断や治療に影響する場合も多いので十分注意して実施しなければならない。」とし、その合併症としてヨードアレルギー、出血、血腫形成、血栓形成ならびに塞栓等をあげ、その禁忌としてヨード過敏症、出血性素因等をあげ、「……急性の動脈栓塞、動脈血栓、外傷などは動脈撮影によつて増悪する場合があるので、臨床的に診断が可能な症例にあえて実施する必要はない。」と記載している。前記大原到らの「急性動脈閉塞症に対する外科治療」は、臨床体験をした動脈血栓症一五例中四例が逆行性動脈撮影を原因とするものであつた旨、報告している。

したがつて、血行障害が認められる患者に対して血管造影をするか否かは、通常、右のような危険性をも考慮し、血行再建術等の外科的処置をとることの必要性や保存的療法によつた場合の結果の拡大の可能性と一般状態維持の必要性とを睨み合わせて決定されることになる。

(四) 本件の場合、大塚医師は、七月三一日の初診段階で、原告弘の足趾は既に壊死に陥つていて回復不能であるとともに健康な部分との境界もはつきりしていて急変する徴候はないと診断したが、本件壊死が明らかに血行障害に起因するものであつたので、原告弘の年令にかんがみ、その成長への支障を考慮して、障害の部位、程度、血行状態を調査し、今後の治療方針をたてるため、逆行性動脈撮影法(いわゆるセルジンガー法)により血管造影を行なつている。

大塚医師が証言をした昭和五一年三月頃には、造影剤が改良されて使用量も少なくてすむようになつたことと撮影装置が格段に進歩して短時間に多くの枚数の撮影が可能となつたことにより、血管撮影は比較的安全となり、失敗する可能性も減少しているが、昭和四三年当時の装置では、撮影のタイミングを誤ると造影剤の流れを捉えそこなうし、また、造影剤を無制限に使用することもできないところから、撮り直しも簡単にはできないという困難さもあつた。昭和四三年当時には、大阪府下の市民病院あたりでは血管撮影の装置はないのが普通であり、池田病院にもそれはなく、また関西労災病院でも、血管撮影を行ないうるのは大塚医師一人であつた。もつとも、同病院では、同医師がいるかぎり、緊急の場合には、昼間であれば、必要不可欠であるヨード過敏症のテストを含めて、三時間もあれば施術の準備をすることが可能であつた。

(五) 昭和四三年一一月発行の石川浩一外一名著「末梢循環障害の診断と治療」(乙第五号証)は、「受傷部より末梢が蒼白で冷たく動脈拍動を欠き、知覚運動障害を併なう場合には救急手術の絶対的適応である。」としながらも、動脈外傷による血行障害においては、「一般に受傷より再建までの時間的経過が一二時間以内のものでは予後良好とされているが、実験的に再建の成功率は受傷後六時間以内で九〇%、一二ないし一八時間以内で五〇%、二四時間以内では二〇%とされている。また受傷後時間が経過したもので、筋壊死や皮膚色調の変化が発生したものでは、血管再建を行なうと大量のカリウムや組織破壊産物が血中に入つて心停止や腎不全を起こす危険があるとされているが、一般には単に時間的因子がすぎたという理由のみで再建手術を断念すべきではなく、前述の徴候が存在しない限り動脈修復を試みるべきである。」との結論を示している。

(六) 前記大原到らによる「急性動脈閉塞症に対する外科治療」(乙第二二号証)は、昭和三六年一〇月から昭和四二年九月までの七年間に治療した動脈塞栓症一二例、血栓症一五例の臨床体験に基づく報告である(それは、当時における一応の医療水準を示すものと認められる。)が、その経験内容の概略は、次のとおりである。

(1) 塞栓症一二例(原疾患として全例に心疾患が存する。)は、(ア)一〇例が五〇才以上、その余は四〇才、二七才各一例、(イ)閉塞動脈は、一一例が下腿動脈(大動脈分岐部二例、総腸骨動脈一例、外腸骨動脈六例、膝窩動脈二例)、一例が左腋窩動脈で、(ウ)いずれも塞栓摘出術を試みたところ、その結果は、脈搏を回復しえたもの四例(発症より、四時間、一七時間、二五時間、三日一一時間、後の手術例)、脈は触れないが下肢血流の改善をみたもの二例(同、四時間、二三日、後の手術例)、大腿を切断したもの四例(同、三日一八時間、九日、一一日、一四日、後の手術例)、死亡したもの二例(同、一一日、一二日、後の手術例)である。

(2) 血栓症一五例は、(ア)五〇才以上三例、四〇代および三〇代各一例、二〇代三例、二〇才未満七例(一七才二例、一九才、一三才、一一才、八才、六才各一例)、(イ)外傷に原因があるもの一四例(逆行性動脈撮影施行後のもの四例、動脈手術によるもの六例、打撲によるもの二例、挫滅創によるもの一例、術中血圧測定のために左撓骨動脈中に留置された注射針によるもの一例)、動脈硬化を原因とするもの一例、(ウ)閉塞動脈は、内頸動脈二例、上腕動脈一例、撓骨動脈一例、外腸骨動脈一例、外腸骨動脈より大腿動脈までのもの二例、大腿動脈三例、膝窩動脈一例、後脛骨動脈二例等で、(エ)うち一三例に対して手術(血栓摘出術等九例(八才、一一才、一三才各一例を含む。)、血栓血管切除術等四例)を実施したところ、その結果は末梢脈搏を回復しえたもの一〇例(受傷(動脈手術を原因とするものについては閉塞)より、二時間、四時間、一七時間、二四時間、二七時間、三一時間、七五時間、八四時間、七日、二一日、後の手術例)、脈は触れなかつたが下肢血流の改善をみたもの一例(同、二時間半後の手術例、一たん脈搏を回復しえたがその後再び閉塞し末梢組織が壊死に陥つたもの一例(同、四日後の手術例)、その他一例(同、一か月後手術例)であり、(オ)手術を行なわなかつた二例は、いずれも動脈手術を原因とする右外腸骨動脈の血栓症であるが、その一は六九才男子で、低分子デキストランにより下肢血流改善をみたもの、その二は六歳男子で、副血行路が豊富で下肢の循環傷害が殆んどみられなかつたものである。なお、手術例中最年少者に関するものは、逆行性動脈撮影を原因として右外腸骨動脈、総大腿動脈が閉塞した八才男子に対し、受傷より七五時間後に血栓摘出術、交感神経切除術を施行して脈搏の回復をえたものであり、患者は、一部前脛骨筋の硬結を残して一か月半後に少し跛行しながら歩行退院している。

そして、右臨床経験は、「一般に動脈閉塞を解除したのち末梢動脈の脈が回復する程度は、血管が閉塞してから手術を行なうまでの時間によつて異なり、それが早ければ早いほど血栓の血管壁への付着は強固でなく、二次血栓の形成も少なく、主幹動脈よりの分枝も閉塞されず、末梢血流が維持される。」として受傷からの経過時間が重要であることを認めながらも、「この研究によつて、血栓症でも塞栓症の場合でも、末梢循環不全の疑われる時は発症後一二時間以上経過しても積極的に閉塞部を開いて血流の回復をはかることにより壊死を防止出来る場合が少なくなく、あるいはまた肢切断の範囲を最小限にとどめられる場合があることを示した。」と述べて、「急性動脈閉塞症の場合は四肢が壊死に陥つていないかぎり発症よりの経過時間に関係なく、末梢循環不全がある場合積極的に閉塞部を取り除き、血管を開通せしめることが外科療法としてもつともよい。」と結論付けている。

なお、右報告書中には、「血管性疾患に対する外科的治療が盛んになるにつれ、動脈瘤、大動脈縮窄症および末梢の慢性動脈硬化性疾患に対する手術成績が向上してきている。しかしながら急性動脈閉塞症に対する治療成績は依然として不良である。昭和三八年稲田らは九例の塞栓について報告し、七時間以内に塞栓摘出を行なつた二例および三か月経過して短絡術を行なつた一例が生存、他は死亡したとのべ、また昭和四二年恒川らは急性四肢動脈閉塞症一八例中九例に血栓摘出術を行ない、発症後一ないし二日を経過した三例が治癒し、他は肢折断又は死亡したと報告している。」との記載がある。

(七) 前記枡岡進らによる「血管外傷とその予後について」(乙第六号証)は、大阪医大第二外科において経験した血管外傷例二三例中医原性(その内容は明らかにされていない。)の八例を除く一五例、(ア)二〇才から四〇才までのもの一一例、七才、一六才、四五才、四七才各一例、(イ)急性型一三例(出血を主訴とする開放性損傷五例、動・静脈の急性閉塞症状を呈するもの八例)、慢性型二例(慢性動脈閉塞症および仮性動脈瘤各一例)で、(ウ)損傷の部位は、大腿動脈六例、右膝窩動脈三例、右鎖骨下動脈、右上腕動脈、左前腕動脈および左浅側頭動脈各一例、大腿静脈四例、右膝窩静脈二例、(エ)損傷の形態は、急性型一三例中、血管の完全離断一二例、内膜損傷による血栓性閉塞四例、電撃傷による血栓性閉塞一例について検討を加えたうえ、「血行再建術施行例の救肢率は六七%で、全例受傷後三六時間以内の症例であつた。「受傷後三五時間以内に血行が再建されればその予後も比較的良好であるが、損傷部位あるいはその程度により異なるので、一概には論じられない。」「血行再建前に知覚障害を認めたものの手術成功率は知覚障害を認めなかつたものに比較し不良で、かつ知覚障害例は何らかの後遺症を残す可能性がある。」との結論を下している。

前記症例中には、①大腿骨骨折による右浅大腿動脈の内膜損傷によつて生じた血栓性閉塞のため間歇性跛行を主訴として受傷二か月後に来院した二三才の男子に対し、テトロン性バイパスによる血行再建術を、②恥骨骨折による右大腿動脈の内膜損傷によつて生じた血栓性閉塞のため下肢麻痺を主訴として受傷六時間後に来院した三六歳の男子に対し血栓剔除、内膜固定の血行再建術を、それぞれ行なつたところ、いずれも後遺症を残さずに完治した症例、③右浅大腿動脈の内膜損傷による血栓性閉塞のため足趾壊死を主訴として受傷八日後に来院した四五才の男子に対し自家静脈によるバイパス移植の血行再建術を施行したが大腿下部を切断せざるをえなかつた症例、④下腿骨骨折による右膝窩動脈離断のため下腿腫脹を主訴として受傷二日後に来院した二五才の男子に対し血行再建術を施すことなく下腿上部から切断した症例、⑤骨折を伴つて右膝窩動脈に離断の損傷があり足趾チアノーゼを主訴として受傷三六時間後に来院した二四才の男子に対し、自家静脈移植の血行再建術を施したが足趾の切断を必要とした症例、が掲げられている。右報告は、右⑤の症例に対しては、下腿の切断にはいたらなかつたとして、良好と評価すべきものとしている。なお、⑥七才児の症例は、恥骨骨折等を併つて右総大腿静脈に断裂の損傷があり出血、意識混濁を主訴として受傷三〇分後に来院した男子に対し、大腿動脈の側壁縫合を施したが、出血性シヨツクで死亡したというものである。

なお、同報告には、「労働・交通災害に併発す血管外傷が増加しつつある今日、これら血管外傷に対して積極的に血行再建術が施行されてはいるが、外傷の複雑性に起因する診断の遅延、あるいは第一線病院での手術施行の困難性等のため、その手術成功率は未だ満足しうるものではない。」との記載がある。

(八) ところで、大塚医師は結局本件閉塞につき血行再建術を施さなかつたのであるが、それは、原告弘の場合、側副血行路の発達が良好で、現に壊死拡大の危険性が認められなかつたところから、次の二点を考慮して判断した結果である。

(1) 本件閉塞についての血行再建術は、閉塞部分を切除してそのあとに人工血管を移植するか、閉塞部分はそのままにしてこれに人工的な側副血行路(バイパス)を設けるかのいずれかの方法によらざるをえないが、人工血管には、血栓を生ずる危険性がより高度に存するのみならず、当時七才の原告弘の体の成長に伴う発達は望みうべくもないという難点がある。

成長期にある子供の場合、血栓中に新たな血流が再開し、あるいは側副血行路が発達することによつて十分に末梢組織を維持することができるほどの血流ができてくる可能性もないではない。

(九) なお、大阪市立大学医学部整形外科助教授である鑑定証人豊島泰は、自分のところでは、血管造影を盛んにやりだしたのは昭和四〇年頃からであり、本件症例についても、証言をした昭和五〇年の時点であれば当然血行再建術を前提として血管撮影をする、昭和四三年当時でもやつたであろう。当時は相当知識を有する人が大分ふえてきていたから、専門家を呼ぶか、そちらに送るかということを考えてもよかつたのではないか、との趣旨の証言をしている。

3 ところで、医師には患者によりよい診療の機会を与える義務があり、自己のみで適切な診療をなしえないときは、専門医の協力を求めたり、あるいは、設備の整つた病院に患者を送つたりすべきであると解されるけれども、医師が過失により診断を誤つたため特定の治療行為が施行さわなかつたという、場合に、右過失と回復していない患者の現症状との間に因果関係を肯定して当該医師に右現症状についての責任を問うためには、単に当時における当該分野の専門医の知識技術の水準からすれば当該治療行為の実施は可能であり、それにより症状回復の可能性もあつた、というだけでは足りないのであつて、右の因果関係が肯定されるのは少なくとも、当時における当該分野の疾病の診療に携わる医師としての水準に達した知識技術を有する者であれば、一般に、当該患者の症状を正確に認識した場合には、当該治療行為による回復の蓋然性と危険の蓋然性とを比較考量して、さしたる躊躇を感じることなくこれを実施したであろうと認められる場合でなければならないものと解される。

4  そこで、右3に述べたような見地から、さきに認定した事実関係に基づいて、前記被告本多の過失と本件壊死との間の因果関係を肯定しうるか否かについて考察する。

(一) まず、血管撮影については、前記2の(三)の認定にあらわれたような危険性もあり、また、同(四)で認定した事実からみて、池田病院に入院中の原告弘に対して緊急にこれを施行するには事実上相当の困難を伴つたであろうことが推測されるとはいえ、何よりも、接着した時間に大塚医師が現にこれを実施していることを考えれば、被告本多らが早期に設備の整つた病院に協力を求めてさえいれば、何とかこれを実施することができたはずであると考えられるけれども、血管撮影自体は診断の手段であつて治療の方法ではないから、それだけでは右の因果関係を肯定することはできない。

(二) 次に、前記2で認定した事実によれば、昭和四三年当時においても、血行再建術は、動脈閉塞等に対する最も効果的な治療方法として、血管外科に関する専門的知識技術を有する医師の間ではかなり広く用いられていて、既に相当程度の成績を納めていたのであり、外傷を原因とする主幹動脈における血栓性閉塞も、早期に適切な治療を加えればかなりの程度は後遺症を残すことなく治癒するものであつて、受傷後かなりの時間を経過したものであつても回復した例もないではなかつたのであるから、原告弘に対しても、チアノーゼ発現以前の段階で速やかに血管撮影を行なつたうえ血行再建術を施行していたとすれば、あるいは本件壊死の発生を防止しえた可能性もあつたのではないかと考えられる。

(三) しかし、さきに第二、第三、および第五の二、同三の2で認定した諸事実からすれば、一方において右2の(九)の鑑定証人豊島泰の証言にあらわれたような態度を示す専門医も存したことはともかくとして、前記の因果関係を肯定しうるか否かを判断するに際しては、

(1) 当時における急性の血栓性動脈閉塞に対する血行再建術の成功率は一般には必ずしも良好とはいえず、特に、受傷後長時間を経過した場合の成功率は不良であつたところ、本件の場合は、五月四日の段階でも既に受傷から一六日を経過していたこと、

(2) 五月四日当時における本件閉塞の形成の程度、状況は必ずしも明らかではないけれども、右受傷後の経過日数にかんがみれば、その間に徐々に形成された血栓の血管壁への付着も強固なものとなつていたものと推測され、これに対する血行再建の方法としては、閉塞部分を切除してそのあとに人工血管を移植するか、人工血管によるバイパスを設ける方法によらざるをえなかつたものと思われるところ、人工血管には、血栓を生ずる危険性がより高度に存するのみならず、当時六才の原告弘の体の成長に併う発達は望みうべくもないという難点が存したこと、

(3) 本件にあらわれた主張立証からみるかぎり、当時においては、原告弘程度の小児に対し、血管切除、人工血管移植等という血行再建術を施行して成功した症例報告は見出しえないこと、

(4) 原告弘の場合、側副血行の発達が良好であつたうえ、その後の経過にかんがみれば、血行再建術を施行するか否かの決定に先立つ経過観察の過程において、さしあたつてチアノーゼが左足趾部分以上に拡大する徴候のないことが比較的早い機会に認められたものと推測されること、

(5) 本件壊死は、この種の動脈閉塞による後遺症としては、むしろ小範囲に止まつたと評価しうる余地もあること(血行再建術を実施した場合に関する前記第五の三の2の(七)の③および⑤の症例の転帰との対比。受傷後の経過日数から考えれば、本件閉塞摘除の手術に成功したとしても、それだけで足趾の壊死脱落を防止しえたとも言い切れない。なお、原告弘の場合、本件閉塞のほか、左足趾部分にも二次血栓が形成されていた可能性もないではない。)、

(6) 血管造影を実施した大塚医師も、現に壊死拡大の危険性が認められなかつたという事情が加わつているとはいえ、敢えて血行再建術を施行しようとはしなかつたこと、

等の諸事情を考慮しなければならないのであつて、血管外科の治療に携わる医師として当時の水準に達した知識技術を有する者であつても、血管撮影と経過観察とにより原告弘の症状を正確に認識した場合、当時における血行再建術施行の実情を前提とし、後遺症として予測される壊死の範囲をも考慮して、その発生を防止しあるいはこれをより小範囲に止めることができるという確実な目途も立たないのに、敢えて危険をおかして難点のある血行再建術を施行することはない、との判断に達する公算も大きいと考えられるのであつて、前記鑑定証人豊島泰の証言をあわせ考えても、少なくとも、前記のような知識技術を有する者であれば、一般に、さしたる躊躇を感じることなく原告弘に対して血行再建術を実施したであろうとは、到底認めがたいところである。

5 結局、被告本多の前記過失と本件壊死との間に因果関係を肯定することはできないというほかはない。

四なお、原告らは、原告弘の左足尖部にチアノーゼが現われた段階において直ちに血管撮影を行ない血行再建術を施せば本件壊死の発生を防止しえたとして、これらの処置をとらなかつた被告本多には過失があると主張する。しかし、既に述べてきたところからすれば、チアノーゼの発現をみた段階では、血行障害の発生は明瞭であるから、直ちに血管撮影を行なつて血管閉塞の部位、程度を把握すべきであり、これを怠つた点に過失があるという余地はあるとしても、血行再建術を施行しなかつたからといつて、右過失と本件壊死との間に因果関係を背定することができないことは、明らかである(被告本多がチアノーゼの発現を知つたのは五月六日午前九時頃のことであるが、その段階においては、既に左足趾の一部が壊死状に陥つてから一日を経過していたのであり、また、左足膝下背腹部に壊死を生ずる徴候があらわれていた形跡もうかがわれないところであるから、右三の4で述べた、敢えて血行再建術をすることはないとの判断に達する公算は、更に大きいと考えられる。)。

五してみると、本件壊死が被告本多の過失によつて生じたものであるということはできないから、その余の点について判断するまでもなく、被告本多およびその使用者である被告池田市には、原告ら主張の損害を賠償すべき責任はないことが明らかである。<以下、省略>

(富澤達 柳澤昇 窪田もとむ)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例